「この一冊ですべてわかる!」式の安直でインスタントな本ばかりを選んではいけない 【福田和也】
“知の怪物”が語る「生きる感性と才覚の磨き方」
■なぜ今、「この一冊ですべてわかる」式の本ばかりを読者は求めるのか?
ところが、若い読者は少なからず興奮しているわけですね。とても面白いといって喜んでいる。そんなことはないだろう、と質(ただ)していくと、かなり思想、文学方面に関心のある諸君であっても、今ではこういう高名な著者の本をほとんど読んでいないわけですね。
もちろん、少なからぬタイトルが品切れになっていたり、あるいは入手困難になっています。しかし、私たちの頃も、入手困難な本は沢山あったわけですが、それを求めて古書店を歩いたり———だいたい、さして珍しい本ではないので、労せずして見つけることができるのですが———図書館に通ったりしたわけですが、今ではそれもしない。というよりも、たとえ入手可能であっても、いちいち本を読もうという気持ちもそんなにない。面倒なのですね。
まあ、私たちも、何らかの使命感や義務感から本を読んでいたわけではさらさらなくて、ただ単に、好きだから漁って読んでいただけのことですから、そういうことが好きではない人に向かって、それではいけないとか何とかいう権利はないと思いますけれど。
そういう若い諸君にとって、小熊さんの本は、とても便利なわけです。引用も豊富ですから、かなり厚い本ですけれど、これを読めば戦後思想史を一冊で全部読んだという気になる。読んだ、勉強をした、わかった、一丁上がり、というわけです。
こういう、旧共産圏の副読本のような、一冊であらゆることがわかるようになっている本こそを、今の若い読者は求めていることになるのでしょう。
小熊さんの名誉のためにいっておけば、別に彼は、一冊でみんな解る本を作りたかったわけではないでしょう。自身の説を語るために、これだけの傍証が必要だと思ったから、引いたのでしょうし、そのうえで、小熊氏なりの主張はされているわけで、別に若者に勉強させようと思ったわけではないでしょうし、当たり前のことですが、その立場から見てのまとめ方をしているわけで、その点ではニュートラルではありえない。
しかし、今の諸君はそういうことはどうでもいいわけですね。そういう点で思い返してみると、一時隆盛をした、教科書問題関係の本も、そういう需要に応えていたのだ、ということがわかります。
たとえば、西尾幹二氏のこれまた厚い『国民の歴史』(扶桑社)や、小林よしのり氏の『戦争論』(幻冬舎)が、運動の枠を超えて、あれだけ売れたのには、やはり一種の学習意欲、これを読めばすべてがわかる、あるいは、大体の論点がつめるというような意識があったからです。
その奥の、主張なりイデオロギーなりは、どうでもいいとはいわないけれども、それ以上に「お勉強」への情熱が強かったのではないでしょうか。
歴史について、あるいは国家について、みんな勉強したい、本を読みたいという意欲はもっているけれど、どれを読んでいいかわからないし、たくさん読むのも大変だ。これを読めば、だいたいのことはわかるし、自分なりに語ったり、ウエッブに書き込んだりできる。そういうマニュアルであり、コミュニケーション・ツールという役割を、教科書運動関係のベストセラーは担っていましたし、その点からすれば小熊氏の本は、左からの、右翼文献主義、教養主義に対する反撃ということになるのでしょうか。
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『福田和也コレクション1:本を読む、乱世を生きる』
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文藝評論家・福田和也の名エッセイ・批評を初選集
◆第一部「なぜ本を読むのか」
◆第二部「批評とは何か」
◆第三部「乱世を生きる」
総頁832頁の【完全保存版】
◎中瀬ゆかり氏 (新潮社出版部部長)
「刃物のような批評眼、圧死するほどの知の埋蔵量。
彼の登場は文壇的“事件"であり、圧倒的“天才"かつ“天災"であった。
これほどの『知の怪物』に伴走できたことは編集者人生の誉れである。」